実写版コナン
昨晩放映された実写版名探偵コナン見たんだけどいやぁひどかった。
コメディリリーフとオーバーアクトの区別がついていない陣内とかベニヤ感溢れる安いセットとか21世紀にもなって横溝モドキの離村かよとか伏線も糞もないプロットとか幻滅ポイント満載で見所は次元の壁を越えてきたとしか思えない伊武雅刀の目暮警部だけという有り様だったんだけど、そんなのは些細な事で、最大の問題は脚本家が明らかにコナンと金田一少年の区別がついていないこと。
コナンは犯人に絶対にシンパシーを抱かないという鉄則があるはずで、それが魅力でもあるはずなのに、実写版の新一は安っぽい同情キャラになってしまっている。
結果、そういうシチュエーションの多い金田一少年の事件簿のキャラ替えにしか見えなくなってしまっている。
一応記念ドラマなんだからそこで原作をいじっちゃダメだろ
まあ日本のテレビドラマの志じゃこんなもんといえばそれまでなんだけどさ。
今日のことば
エアメール:
外国からの手紙で一気に場の空気が重くなる事
オタク史の難しさ
311後のオタクがどうなるか、というtwitterでの話で「結局論者は自分の周りの話しかしていない」みたいななツイートがあって、それについてちょっと思った事。
twitterにつぶやいたネタの加筆修正。
オタク史というのはいまのところ「客観的に検証し難い個人史の集積」でしかないから、先の事を語ろうとしても半径10メートルの範囲内の話みたいになるのはしょうがない。
じゃあなぜそうなるかと言うとオタク史には「通史」「正史」が存在しないからだ。
何年にこういうアニメが放映された、何年にこういうマンガがあったというコンテンツ史やブームを繋いだ社会史としての正史と呼ぶべきものはある。
だがオタク活動はコンテンツの消費によって成り立っている以上、そこにいわば裏面史として、検証が難しい個人活動の歴史が積み重なっている。
例えば現在の同人活動のアーキタイプとしての60年代のSFファンダム、ラノベの始祖としてのジュブナイル小説、深夜放送のいわゆるハガキ職人文化、80年代の極初期のエロパロこれらはオタク史と抜きがたい関連があるはずなんだけど全容を検証可能な形で残っていない。 「俺が見聞した」という「証言」以外によるすべがない。
90年代以降でもパソコン通信の会議室やチャットのログや最初期のhtmlベースのファンサイトや掲示板などの黎明期のネット上の記録、さらに現れては消える美少女ゲームブランド、特にPC9801時代のそれも検証不可能なオタク史物件に入るかもしれない。
こういった物を積み上げなければ現在のオタクシーンに繋がる「正史」は構築できない。
そしてそれは多分誰もやろうとしない。労力に比してのリターンが少なすぎるし、何よりもオタクというのが、今現在目の前にあるコンテンツを消費する事に主眼を置き、過去を振り返らない傾向があるからだ。
あるいは個人史ベースでも証言を積み重ねる事によっての全体史構築は可能かもしれないが、たぶん商業ベースでの需要はなかろう。
オタク正史の構築はおそらく損得を度外視できる「オタク史オタク」の出現を待つしかないのだ。
それが望み薄である以上、オタクの過去・未来に関する話は個人史によって立つしかない。
今日のことば
クライアント:
アリクイの顧客
スシバー
http://market.android.com/details?id=sushi.ndroidz.com
マーケットで拾ったAndroid用無料ゲーム(有料版あり)。
客がオーダーを出して来るので食材を組み合わせて応じる。
選択には順序があり、例えば鰻だとシャリ→ネタ→海苔の順で選んでいく必要がある。
ゲーム進行はかなりシビアでワンミスも許されない感じ。
プレイしてるうちに手つきが何となく握りを握ってる風になるのが面白い。
しかしスシバーって緑茶で金取るんか。まあこっちの紅茶みたいな感覚なんだろうな。