震災直後の仙台都心部はどうなっていたか

※写真は地震直後の仙台駅西口。駐車場の看板が傾いている以外は大きな倒壊などは見えない。
「日本の救いはグローバルスタンダードから最も遠いところにあった」震災で露呈した均一化と集中に頼る国づくりの限界――浜矩子・同志社大学大学院教授に聞く | ポスト3.11の論点 日本と日本人の選択肢 | ダイヤモンド・オンライン
上の記事を読んで少し気になったんで、自分の経験を書き記しておく。
自分は3月11日の地震の発生時、仙台駅にいた。
駅付近は、実はあのクラスの地震にも関わらず大きな建物の倒壊もなく、駅前通りは信号機すら動いていた。
その後青葉区中央付近の避難所に入ったのだけど、ここは翌朝には電気と水道が復旧した。
これは県や市が進めて来た地震対策の賜物だと思うのだけど、ほとんど言及されていない。

そして震災の翌日、最初に営業を始めた店舗はなんだったか。それはチェーンのドラッグストアとコンビニだった。
どちらも店内在庫を店頭販売だったけれど、元の在庫量が多かったのか、2、3日は何かしらが買えた。
次に開いたのはダイエーだった。これはテレビで放送されたのでご存知の方も多いと思うけれど、ダイエーはその後も在庫を確保し続け、休むことなく営業を続けた。
こうした比較的規模の大きな店舗の再開が早かったのに比して個人商店が営業を始めたのはかなり遅かった。
つまり、状況によってはグローバルスタンダードに則ったチェーン店の方がライフラインとして有効に機能した事になる。

無論これは特殊なケースだと言う意見もあるだろう。
ならばこれを特殊としないケーススタディこそがこれからの災害対策に必要な事ではないのか。

今回の震災の被害区域は広範囲に及ぶ。
それだけに多岐に渡る被災のモデルケースが得られたはずだ。
亡くなった方を悼み、涙することは勿論大切だ。
だが、それと並行して、今回の震災を奇禍として、教訓を将来に生かす事もその死をむだにしない追悼のかたちであるように思える。